開催日 平成27年4月4日(土) | 開場 17:30 |
会場 千駄ヶ谷区民会館 | 開会 18:00 終了予定21:00 |
会場整理費 500円 |
※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 栗原 俊明(くりはらとしあき) 氏
なぜ宮沢清六さんは『風の又三郎』を石の彫刻にしたかったのか?
1981年3月、花巻市のぎんどろ公園に完成した「風の又三郎群像」は宮沢清六さんからの依頼で制作されたものです。制作に参加した安倍和子、金子健二、寺田栄、そして私の4人は、それまで宮沢賢治についてそれほど関心を持っていませんでした。そのような、美大を出たばかりの何の実績もない私たちが、なぜモニュメント制作に携わることになったのか。そして、なぜ『風の又三郎』だったのか。そのころはまったく考えもしませんでしたが、宮沢賢治について少しずつ知識が増えるにつれ、モニュメント制作に対する清六さんの熱い思いが少しだけ理解できるようになった気がします。制作の経緯を簡単に説明させていただき、宮沢清六さんの業績を再確認したいと思います。そして、皆様からの更なるご教示を賜ればと考えております。
(会員、彫刻家)
平成27年度総会(所要30分)
(後半) 阿部 弥之(あべのぶゆき) 氏
宮沢賢治『羅須地人時代』実践とその評価
花巻農学校を突然に依頼退職して、予てより改築工事をしていた下根子桜の別宅に移り住んで、私塾『羅須地人協会』を立ち上げました。
1926年4月から1928年8月までの2年4ヶ月間の、ここでの農業実践が農民文学者『宮沢賢治』の評価となっています。
そこで、この協会で宮沢賢治が何を目指してしていたものか。
実際に取組んだこととは何だったのか。
何故、突然、辞めてしまわなければならなかったのか。
農業実践を中心に、私の、この時代の宮沢賢治評価を発表して、皆さまからの教えをお受け致します。
(会員、宮沢賢治花巻市民の会代表)[/box]