7月読書会の記事を投稿しました。今回は、会場がいつもの千駄ヶ谷区民会館と異なりますので、ご注意ください。(6月16日)
10月第289回例会のご案内
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※ 今回から午後時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 佐藤 栄二(さとうえいじ)氏
童話「いてふの実」を読み味わう
賢治の初期童話の中で最も惹かれる一篇「いてふの実」を取り上げる。その語り口から賢治の肉声が聞きとれるような親しみやすさ、銀杏の実たちが二人ずつペアになって交わす対話形式の斬新さ、夜が白んでから次第に明けがたになり、太陽が昇るまでの描写に清冽な筆の冴えを見せる点など、数々の魅力がある。
アンデルセンの『絵のない絵本』をドイツ語で読んで数首の短歌にしてもいた彼が、大正期の児童文学の潮流を目のあたりにしながら書き上げた作品の一つであり、アンデルセン、グリム、トルストイといった童話ないし寓話の世界との接点にも目を向けてみたい。
(当会顧問。現代俳句協会理事)
(後半) 水野 達朗(みずのたつろう)氏
〈第二集・第三集〉を今どう読むか
「春と修羅」の〈第二集〉と〈第三集〉に関してはかつて、農村への関心の深まりを示すもの(第二集)、農村での実践とその挫折を描いたもの(第三集)といった位置づけがなされていた。が、校本全集以降のテクスト研究により、それら農村に関する詩句は、長期にわたる推敲過程の後の方で加えられたものであることが解明され、〈第二集〉と〈第三集〉の性格や、詩風の変遷をかつてと同じ形で論じることはできなくなっている。
可能なのは、推敲過程を辿る形で変遷を論じる道であり、実際、個別の詩篇(群)単位ではそうした論が書かれてきた。ただ、それぞれの手入れの時期を画定するのも容易でない上に、詩集全体を見渡す論となると、そもそもいついかなる形で「集」が形成され(変更され解体され)たのかという「詩集編成」過程の復元が難しい。が、その困難に取り組んだ諸論考を参考にしながら、〈第二集・第三集〉推敲過程における詩風の変遷を、包括的に論じるべき局面もあると思われる。
このことを念頭に本発表では、〈第二集・第三集〉校異の中から、様式や詩世界に同じような変容が生じたと思われる箇所をいくつか取り出して並べ、その様相を考察したい。
(会員。拓殖大学・京都造形芸術大学非常勤講師)[/box]
9月短歌読書会
7月読書会の記事を投稿しました。今回は、会場がいつもの千駄ヶ谷区民会館と異なりますので、ご注意ください。(6月16日)
8月第288回例会のご案内
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※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 牧野 静(まきのしずか)氏
賢治童話における殺生の問題
賢治はその創作において繰り返し殺生を行う主体を登場させ、その苦悩を描いている。また賢治自身一時期には菜食を行ったことが広く知られている。このような賢治の価値観のおおもとに大乗仏教的な発想があることは既に諸家に指摘されている。
しかし賢治の殺生へのこだわりは仏教的発想だけでは説明がつかない部分がある。宮沢家は浄土真宗の篤信であり、賢治の仏教的素地はこの環境で育まれている。しかし真宗の祖親鸞は殺生を生業とする者も阿弥陀仏の本願によって往生を遂げるという立場を取る。またのちに法華経への感動から国柱会入会へと至る賢治であるが、法華経の安楽行品に狩猟者等との交流を戒める箇所もあるものの、日蓮は殺生を行うことを往生の妨げとならないとしている。賢治の殺生への問題意識は仏教的発想以外にもなんらかの端緒があると解するべきであろう。
本発表ではまず賢治が触れた可能性のある経典等と賢治のテキストとの比較を行うことで、賢治が殺生にまつわる創作を行う際の着想のもとを探る。次に賢治のテキスト内で動物がどのように位置づけられているかを分析した上で、現代の応用倫理学のなかで一分野をなす動物倫理の議論との比較を行い、賢治の殺生にまつわる価値観、倫理観を探る。
(筑波大学大学院人文社会科学研究科 一貫制博士課程。会員)
(後半) 外山 正(とやまただし)氏
宮沢賢治と方言の現在(続)
筆者は以前、例会で賢治の方言について発表したことがある(平成19年6月第234回例会「劇『種山ヶ原の夜』と花巻方言の現在」)。九年前のことであるからもうひと昔前だ。これだけの時間の経過は、社会や身辺の様相を一変させるに十分な時間である。物事へのまなざしや理解も十年を経ればかなりの違いを生じさせる。十年かかる学習もずいぶん気の長い話であるが、新しい考えや知識に至ることはある。
社会でもっとも変化したのは情報化であり、その情報化を根拠にあらゆる事件が起こる。方言の問題を情報化でくくってもどこの違いを指摘出来るかは案外難しい作業だ。実は、今回の演題を考えた後に、以前の発表を確認したら、同じ様な演題だったので少々思案したが。あえてそのままにしておく。約十年後の定点観測である。
今回は「なめとこ山の熊」の荒物屋の場面「旦那さん、先ころはどうもありがたうごあんした。」で始まる部分にスポットを当てて考えをめぐらせ、そこからさらに展開することをしたい。
(会員。例会担当役員)
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7月短歌読書会
7月読書会の記事を投稿しました。今回は、会場がいつもの千駄ヶ谷区民会館と異なりますので、ご注意ください。(6月16日)