7月読書会の記事を投稿しました。今回は、会場がいつもの千駄ヶ谷区民会館と異なりますので、ご注意ください。(6月16日)
10月第295回例会のご案内
開催日 平成29年10月7日(土) | 開場 13:00 |
会場 千駄ヶ谷区民会館 | 開会 13:30 終了予定16:30 |
会場整理費 500円 |
※ 10月から開催時間帯が午後時間に変更になります、午後時間の開催です。お間違いの無い様にご注意下さい。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 松岡 康子(まつおかやすこ)氏
「野の師父」と湯口の篤農家 松岡機蔵
今回発表の機会をいただき、例会記録をあらためて見直し、とりあげようとしている土佐啓一氏の「野の師父考」が、昭和40年12月、例会の第1回目の発表であったことに直前になって気づいた。前回までの例会の発表タイトルも目を通したが「野の師父」の文字が見あたらず、約50年ぶりのテーマとなるかもと思うと緊張で眠れない日々を過ごしている。
自分の先祖のことが書かれた氏の論文があると知り、当時の発表資料を求めて本研究会を訪れたのは約2年前。その資料にはまだお目にかかっていないが、ほぼ同じ内容にあたるであろう論文「賢治の農事詩とその背景」に、この春たどり着くことができた。
本発表では、前述の土佐氏の論文と、「四次元」194号に掲載された小沢俊郎氏の「『野の師父』と異稿」を読み直し、武士から帰農し篤農家とまで認められるようになった松岡機蔵が、はたして野の師父のモデルとなる人物であったかという点にせまりたい。機蔵の農業や教育への取り組みが、宮沢賢治作品に影響を与えた可能性について、身内だからこそ知り得たこともあると考え、僅かでも誰かの役に立つことがあればと願っている。
(会員)
(後半) 相原 勝(あいはらまさる)氏
宮沢賢治「どんぐりと山猫」― 国柱会と法華経
多くの人にもっとも親しまれている賢治童話のひとつ、「どんぐりと山猫」。ユーモアと遊戯性と明るさに満ちあふれた、実に楽しい作品である。そして、当然のことながら、これまで、多くの解釈もなされている。しかし、それらの解釈を参考にしながら、このお話を、なんとか整合性をもって理解しようとしても、残念ながら、ますますわけがわからないものになってゆくばかりである。
そこで今回、これまでほとんどなされていないのであるが、この作品の成立時期とともに、その頃の作者の童話創作の思いに即してこの作品を解釈してみようと考えたのである。「成立時期」との関係で読むとは、狂信的ともいえる国柱会(田中智学=日蓮主義)への賢治の帰依とのかかわりと、法華経(とくに如来寿量品)帰依による「法華文学」創作の思いから読んでみようということである。そして、このことを通して、この童話が、童話集『注文の多い料理店』の巻頭に置かれた理由や、「ドリームランドとしての日本岩手県」の意味や、「心象スケッチとしての童話」ということもまた、とらえ直してみようとかんがえたのである。
(会員、ドイツ文学研究者)[/box]
9月短歌読書会
7月読書会の記事を投稿しました。今回は、会場がいつもの千駄ヶ谷区民会館と異なりますので、ご注意ください。(6月16日)
8月第294回例会のご案内
開催日 平成29年8月5日(土) | 開場 17:30 |
会場 千駄ヶ谷区民会館 | 開会 18:00 終了予定21:00 |
会場整理費 500円 |
※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 栗原 文子(くりはらあやこ)氏
「賢治、後半生の友・藤原嘉藤治の日記と所蔵SPレコード56枚」
賢治と同い年の藤原嘉藤治(1896‐1977)は、『セロ弾きのゴーシュ』の主人公とつながりをもつ人物とされ、モデルであるとさえいわれることがある賢治、後半生の友である。
藤原嘉藤治が書いた詩、『或る日の「宮澤賢治」』(ペンネームは藤原草郎)は、1933年(賢治没年)、10月6日発刊の岩手日報夕刊・学芸欄に追悼掲載された。
その藤原嘉藤治の親友、菊池武雄(1894‐1974)は、大正13年に発行された『注文の多い料理店』の表紙画および挿絵を描いている。そもそも、藤原嘉藤治と菊池武雄は、大正9年頃に藤原嘉藤治が勤務した盛岡城南尋常小学校において、同僚同士である。菊池武雄は図画を教えていた。
さて、藤原嘉藤治が遺した日記(大正6年12月~大正7年3月)には、菊池武雄の名が記されている箇所が数か所あり、その内容から、二人が大正6年当時、すでに強い信頼関係で結ばれた友人同士であったことが伺えるのである。
詩、童話を書く賢治、音楽教師であり、賢治とセロを一緒に練習した藤原嘉藤治、そしてもう一人、美術センスの持ち主で、最後まで賢治の友でありえた菊池武雄もまた、賢治、後半生の友といえるのかも知れない。
藤原嘉藤治の書斎に遺されていた日記とSPレコード56枚を軸に、この三人が共有した世界への接近を試みる。
(会員)
(後半) 大角 修(おおかどおさむ)氏
銀河鉄道の夜と宮沢賢治の〈あの世〉
銀河鉄道は死んだ者たちを乗せて南へ南へ走っていき、急な斜面を下ると、二度と戻ってこない。ジョバンニと一緒にいたカムパネルラも、いつの間にかいなくなり、ついに戻ってこなかった。カムパネルラは、どこへ行ったのだろう?
妹のトシも「みんなが死ぬとなづける/そのやりかたを通つて行き/それからさきどこへ行つたかわからない」(詩「青森挽歌」)
死んだ先のことは、もちろん誰にもわからない。ところが、賢治の作品には〈あの世〉のことがさまざまに書かれている。なかには、恋人と一緒に死んだのに他の女に気を移す浮気な男の話(文語詩未定稿「黄泉路」)もある。8月例会は旧盆の時期なので、賢治の〈あの世〉の物語をとりまとめ、納涼の一席としたい。
(役員)[/box]
7月短歌読書会
7月読書会の記事を投稿しました。今回は、会場がいつもの千駄ヶ谷区民会館と異なりますので、ご注意ください。(6月16日)