例会

6月第281回例会のご案内

開催日 08.gif 平成27年6月6日(土) 開場 08.gif 17:30
会場 08.gif 千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 18:00 終了予定21:00
会場整理費 08.gif 500円

※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  中路 正恒(なかじまさつね)氏
 宮沢賢治のポトラッチ—「祭の晩」から考える
 宮沢賢治には贈与について思索が豊かに展開されているように見える。それは一方では献身への意志の問題として(「銀河鉄道の夜」他)、また他方では明確に誰の意志とも言い難く、また贈与として表わされているとも言い難い贈与の問題として表わされている(「虔十公園林」)。だがそのような贈与をめぐるさまざまな問題の中の目立たない位置に作品「祭の晩」があるように思う。そこには相手を喜ばせたいという純粋な意志が高まり、ある種の熱狂にいたるさまが描かれている。主人公亮二は「着物と団子だけぢゃつまらない。もっともっといゝものをやりたいな。山男が嬉しがって泣いてぐるぐるはねまはって、それからからだが天に飛んでしまふ位いゝものをやりたいなあ」と考えるのである。この贈与は途方もない。ここには相手を喜ばせたいという意志の純粋性が特筆されるが、また同時に競争的、競覇的な性格も見落とし難い。山男からの過剰な贈与・返礼に含まれる気前の良さに対する関係である。ここにわれわれはマルセル・モースが『贈与論』の中で描くポトラッチの本質的なものを見出す。モースはそれを「競覇型の全体的給付」(prestations totales de type agonistique)として規定するが、全体的給付とは「そのすべてを賭して契約する、つまりその所有するすべての物、そのなす一切のものを賭して契約する」(..le clan qui conracte pour tous, pour tout ce qu’il possède et pour tout ce qu’il fait)ことを意味している。われわれは「祭の晩」の亮二の思考のうちにポトラッチ的な贈与の本質を見出すことができるのではないだろうか。そしてまた、そのポトラッチ的な贈与の熱狂を鎮めるための思索を、賢治の作品の中に探りたい。
(京都造形芸術大学名誉教授、宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事)


(後半)08.gif  入沢 康夫(いりさわやすお)氏
 「セロ弾きのゴーシュ」原稿解読の思い出

 校本宮澤賢治全集の編集のために、私と天沢退二郎さんとが、賢治の書き残した全ての詩稿と童話稿に直接当って、賢治の作品の持つ特質の数々に、目を瞠ったのは、1971~75年頃のことですから、もう40年以上の昔になってしまいました。しかし、あの時原稿を見て判明した沢山の新事実から受けた新鮮な驚きは、今も生々しく心に甦ってきます。今回は、その驚きのいくつかを、「セロ弾きのゴーシュ」に話をしぼって、御一緒に再体験してみたいのです。
(詩人、校本・新校本全集編纂担当者)[/box]

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4月第280回例会のご案内

開催日 08.gif 平成27年4月4日(土) 開場 08.gif 17:30
会場 08.gif 千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 18:00 終了予定21:00
会場整理費 08.gif 500円

※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  栗原 俊明(くりはらとしあき) 氏
 なぜ宮沢清六さんは『風の又三郎』を石の彫刻にしたかったのか?
 1981年3月、花巻市のぎんどろ公園に完成した「風の又三郎群像」は宮沢清六さんからの依頼で制作されたものです。制作に参加した安倍和子、金子健二、寺田栄、そして私の4人は、それまで宮沢賢治についてそれほど関心を持っていませんでした。そのような、美大を出たばかりの何の実績もない私たちが、なぜモニュメント制作に携わることになったのか。そして、なぜ『風の又三郎』だったのか。そのころはまったく考えもしませんでしたが、宮沢賢治について少しずつ知識が増えるにつれ、モニュメント制作に対する清六さんの熱い思いが少しだけ理解できるようになった気がします。制作の経緯を簡単に説明させていただき、宮沢清六さんの業績を再確認したいと思います。そして、皆様からの更なるご教示を賜ればと考えております。
(会員、彫刻家)


平成27年度総会(所要30分)


(後半)08.gif  阿部 弥之(あべのぶゆき) 氏
 宮沢賢治『羅須地人時代』実践とその評価

 花巻農学校を突然に依頼退職して、予てより改築工事をしていた下根子桜の別宅に移り住んで、私塾『羅須地人協会』を立ち上げました。
 1926年4月から1928年8月までの2年4ヶ月間の、ここでの農業実践が農民文学者『宮沢賢治』の評価となっています。
 そこで、この協会で宮沢賢治が何を目指してしていたものか。
 実際に取組んだこととは何だったのか。
 何故、突然、辞めてしまわなければならなかったのか。
 農業実践を中心に、私の、この時代の宮沢賢治評価を発表して、皆さまからの教えをお受け致します。
(会員、宮沢賢治花巻市民の会代表)[/box]

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2月第279回例会のご案内

開催日 08.gif 平成27年2月7日(土) 開場 08.gif 13:00
会場 08.gif 大妻女子大学千代田校舎本館F棟632室 開会 08.gif 13:30 終了予定16:30
会場整理費 08.gif 500円

※ 午後時間の開催です。
※ 会場は大妻女子大学千代田校舎本館F棟632室です(案内図その2)
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  松行 彬子(まつゆきあきこ) 氏
 「宮澤賢治『マグノリアの木』、『インドラの網』の世界における全包括的な生命プロセスの認識」
 宮沢賢治は、西域異聞三部作として、『マグノリアの木』、『インドラの網』、『雁の童子』を、生前未発表作品として遺した。これらの三部作は、宮沢賢治に関する研究者にとっても、少なくとも大乗仏教の教義に関する認識や理解を必要とするため、作品の解釈をするうえで難解な作品群とされている。本講演では、西域三部作のうち、特に『インドラの網』および『マグノリアの木』を取り上げ、生命プロセス主義に基づく有機体論的システム論の視点から、時空を超えた宮沢賢治の全包括的な世界観の本質的な内容とは何かについて検討する。
(会員、東洋大学現代社会総合研究所客員研究員、嘉悦大学経営経済学部元教授、学術博士)


(後半)08.gif  森 義真(もりよしまさ) 氏
 賢治の啄木意識

 宮澤賢治は、盛岡中学校で11年先輩の石川啄木に直接会うことはなかった。
 一般的に、賢治の文学的出発は明治43年12月に発行された啄木歌集『一握の砂』の影響からくる、「明治44年1月より」の短歌制作から始まった、とされる。
 そうした点だけではなく、啄木にあこがれて盛岡高等農林に入学した保阪嘉内との交友、啄木の親友で恩人でもあった東京本郷森川町の金田一京助宅訪問、啄木の第一号歌碑建立に向けた東京啄木会への入会など、賢治が啄木を意識しての行動がある。
 それらを例示しながら「賢治の啄木意識」はどういったものであったのかについて 論じたい。
(会員、石川啄木記念館館長)[/box]

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12月第278回例会のご案内

開催日 08.gif 平成26年12月6日(土) 開場 08.gif 13:00
会場 08.gif 渋谷区千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 13:30 終了予定16:30
会場整理費 08.gif 500円

※ 午後時間の開催です。 [box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  大竹 智美 氏
 「二七 鳥の遷移」(一九二四、四、廿一、)考
 『春と修羅 第二集』「二七 鳥の遷移」の「その時々の定稿」の生成過程を考察していきたい。
 「二七 鳥の遷移」は、細部にとどまらないテクスト全体の変遷が繰り返される。 推敲過程をたどりながら、どのようにスケッチが変容していくのかを明らかにする。
(会員)


(後半)08.gif  梅田えりか 氏
 『春と修羅』第二集「〔南のはてが〕」考

 『春と修羅』第二集の「〔南のはてが〕」という作品は、教員生活中既に「あらたな仕事をみつける」ことを決意していたことを示す作品として、取り上げられることの多い作品である。が、「アルモン黒(ブラック)」という語を含め、未だ謎の多い作品でもある。第一集の「風景とオルゴール」などとの関連を含め、下書き稿から改めて丁寧に読みなおすことで、僅かながら謎を紐解いてみたい。
(会員、中学校国語科教員 ※本発表は昨年二月に予定されていたものです。)[/box]

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10月第277回例会のご案内

開催日 08.gif 平成26年10月4日(土) 開場 08.gif 13:00
会場 08.gif 渋谷区代々木区民会館 開会 08.gif 13:30 終了予定16:30
会場整理費 08.gif 500円

※ 午後時間の開催です。 [box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  大角  修 氏
 宮沢賢治と華厳の海
 「スールダッタよ、あのうたこそはわたしのうたで、ひとしくおまえのうたである。いったいわたしはこの洞に居て、うたったのであるか考えたのであるか。(中略)そのときわたしは雲であり風であった そして、おまえも雲であり風であった。」
 賢治の文学はキリスト教や東北の風俗をも表現に取り込んだ幅広いものだった。仏典も法華経に限らない。この「竜と詩人」の一節は華厳経の世界を思わせる。もしかしたら賢治の創作のヒントになったかもしれない華厳世界の幻想的なイメージを取り上げたい。
(宮沢賢治研究会会員、宗教評論家。著書に、『「宮沢賢治」の誕生』『イーハトーブ悪人列伝』など。)


    08.gif  臨時総会
 会長、事務局長、「賢治研究」編集長他の退任表明に伴い、役員改選を行います。


(後半)08.gif  中地  文 氏
  「大正十年の賢治と「あまの川」「雪渡り」

 大正十年に賢治が東京で何を考え、どのような活動をしていたのかという問題については、残されている情報が少ないなか、いくつもの論考が提出されてきている。しかし、同年七月十三日消印の関徳弥宛書簡に記された「これからの宗教は芸術です。これからの芸術は宗教です」という表現と、当時の賢治の創作との関係をはじめ、まだ検討すべき課題は残されているのではないか。本発表では、大正十年になぜ童謡「あまの川」、童話「雪渡り」が執筆・発表されたのかを問うことで、賢治の滞京時の活動と思考の一端を探ってみたい。
(宮沢賢治研究会会員、宮城教育大学教授)[/box]

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