外山正

6月第287回例会のご案内

開催日 08.gif 平成28年6月4日(土) 開場 08.gif 17:30
会場 08.gif千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 18:00 終了予定21:00
会場整理費 08.gif 500円

※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  本田 裕子(ほんだゆうこ)氏
 『銀河鉄道の夜』における「天の川の水」

 ジョバンニが「銀河鉄道」に乗って最初に見た「天の川の水」は、「ガラスよりも水素よりもすきとほって、(略)」と描写されている。また、作中では、「天の川の水」が何度も光っている描写がある。「天の川の水」は自ら発光しているようにも見えるのである。なぜ、「天の川の水」は自ら光ることが出来るのだろうか。
 第一章の「午后の授業」では、「天の川の水」は、「真空」という「光をある速さで伝へるもの」と説明されている。「真空」であることと自ら発光することとは関係があるのだろうか。
 「銀河鉄道」に乗車している間は、誰も「真空」という言葉は登場しない。果たして「銀河鉄道」に沿って流れる「天の川の水」も「午后の授業」の説明と同じく「真空」なのだろうか。
 賢治が「天の川の水」を描くときは、「見えない」「音もなく、形もなく」「あやしい」という言葉を使っている。「天の川の水」には実際に「水」が流れているのだろうか。そして、「天の川の水」は「液体」なのだろうか。
 「天の川の水」の描写を詳細に検証し、賢治の「天の川の水」に対する考えを明らかにしたい。
(鶴見大学文学部研究生。会員)


(後半)08.gif  栗原 文子(くりはらあやこ)氏
 大正6年・浄土ヶ浜の賢治 ―短歌、岡田家宿泊、遠野まで100キロ―

 大正6≪1917≫年7月26日、宮古(岩手県)にやって来た賢治は、盛岡中学の1年後輩で、4年時には寄宿舎で同室だった岡田与志松の実家「岡田家」に泊まり、翌朝、ピッケルを携え、途中まで与志松に案内されて、名勝・浄土ヶ浜へと向かっている。この時、浜辺で詠んだと考えられる短歌のなかから、563a564『基督のさましてひとり岩礁に赤きひとでを見つめゐるひる』、564『展べられし昆布の中に大なる釜らしきもの月にひかれり。』について、解釈を試みる。さらに、宮古から遠野へと吟行しながら帰途を歩み行く賢治の足跡、宮古→蟇目→腹帯→陸中川井→小国→小峠(この辺に早池峰山を望める地点有り)→立丸峠→遠野を辿り短歌に詠みこまれた場所や風景の推定を試み、最後に、現在の遠野ハリストス(キリスト)正教会に架かるイコン『主の復活』(制作:山下りん)と賢治との不思議な縁と接点について、客観的事実をもとに検証する。
 (駒沢大学、臨床心理士。会員)
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5月短歌読書会

開催日 08.gif 平成28年5月7日(土) 開場 08.gif 17:30
会場 08.gif千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 18:00終了予定21:00

※ 夜時間の開催です。 [note color=”ffdead”]短歌番号56508.gif 「青山の肩をすべりて夕草の谷にそゝぎぬ青き日光」からになります。担当は大竹さんです。 [/note]

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4月第286回例会のご案内

開催日 08.gif 平成28年4月2日(土) 開場 08.gif 17:30
会場 08.gif千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 18:00 終了予定21:00
会場整理費 08.gif 500円

※ 今回から夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  岡村 民夫(おかむらたみお)氏
 「ポラーノの広場」論――それはどこにあるのか

 イーハトーブは岩手であって岩手ではない。「ポラーノの広場」は、イーハトーブの非自己同一性ないし未完性を主題とした少年小説である
 発表の前半では、競馬場や植物園などをめぐってモリーオ市郊外と、盛岡ないし花巻の郊外の微妙な異同関係を論じる。宮沢賢治は、郊外が目覚ましく開発された時代(盛岡高等農林学校の設立がその端緒である)を生きたのだ。ポラーノの広場とは、そうした郊外に、都市と田園を媒介する「広場」として夢見られたといえるだろう。
 後半は、作品構造の考察に踏み込む。「ポラーノの広場」においては、廃止になった施設の再活用という主題が反復されており、そこには、夢や伝説が現実の場所によって否定されたうえで、現実の場所を再創造する力として回帰するという、弁証法的展開が認められる。この作品世界内における展開は、「ポラーノの広場」が「ポランの広場」の改作であるという生成論的事実とひそかに呼応してもいる。白紙上に打ち立てられた自己完結的ユートピアではないという側面にこそ、イーハトーブのユニークさと未来性があるのではないだろうか。
(法政大学教授。場所論。著書に『イーハトーブ温泉学』『柳田国男のスイス』など。会員)
※プロジェクターの使用有り。


※ 年度当初のため、総会(時間にして概ね30分の予定)が入ります。


(後半)08.gif  加藤 碵一(かとうひろかず)氏
 宮澤賢治の地的連想法

 賢治作品に数多く登場する「地学用語」や「地名」には、そのもとになったのが何か、あるいは連想の過程が判然としないものが頻出する。「用語が難解で賢治が理解できないという声が依然として多い。賢治は一般用語を用いないで、学術語で表現したのは、それなりの意図と必然性があったのだから、用語面での正確で詳しい解説が必要となるだろう」(田口,1991)とか「分らない言葉、それも賢治を特徴づけている最も重要な言葉をそのままにしておいて、いきなり本質を模索するといういささか定石を無視した研究をせざるを得ない現状」(板谷,1979)が、すでに指摘されているところである。
 例えば、「北上山地」を「シュワリク山彙」に「早池峰山」を「スノードン山」「カイラス山」に、「岩手山」を「ポポカテペトル火山」に擬しているのはなぜであろうか。「イギリス海岸」と称したのはなぜであろうか。いずれも単に賢治の造語であるとか賢治独自の修辞であるとして思考停止せずに可能な限り追いかけてみることにする。
 (産業技術総合研究所名誉リサーチャー。会員)
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3月短歌読書会

開催日 08.gif 平成28年3月5日(土) 開場 08.gif 13:00
会場 08.gif千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 13:30終了予定16:30

※ 午後時間の開催です。 [note color=”ffdead”]短歌番号54508.gif 「どもりつゝ蒸留瓶はゆげをはくゆげの硝子には歪む青ぞら」からになります。担当は山崎さんです。 [/note]

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2月第285回例会のご案内

開催日 08.gif 平成28年2月6日(土) 開場 08.gif 13:00
会場 08.gif千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 13:30 終了予定16:30
会場整理費 08.gif 500円

※ 午後時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  坪谷 卓浩(つぼやたかひろ)氏
宮沢賢治と「青い鳥」

 モーリス・メーテルリンク(1862-1949)の「青い鳥」は、日本で数多く出版され、物語や絵本としても広く親しまれている。メーテルリンクと言えば「青い鳥」というように、彼を児童文学者だと思っている人々も少なくないだろう。しかし、明治末から大正期に目を転じてみれば、その様相は大きく違っていることがわかる。当時、メーテルリンクはトルストイやイプセンのように日本の文壇、劇壇にて大変人気のあった劇作家、思想家であり、その作品は文学者、知識人に大きな影響力を与えたのである。こうした大正期におけるメーテルリンク受容の文脈を通して、宮沢賢治について考えてみたいというのが今回の発表の趣旨である。大正6年4月の「雲とざす/きりやまだけの柏ばら/チルチルの声かすかにきたり。」という短歌に表れているように賢治が「青い鳥」を読んでいたことは確かだと思われる。当時の「青い鳥」の出版状況を確認しながら、賢治が目を通したと思われる図書、雑誌について想像を巡らせてみることにしたい。なお、作品としては「かしはばやしの夜」を取り上げて、「青い鳥」が賢治に与えた影響についても考えてみる予定である。
  (日本体育大学図書館。会員)


(後半)08.gif  田嶋 彩香(たじまあやか)氏
宮沢賢治作品における家族―子供のいる「氷と後光」の場合―

 「氷と後光」は、「若いお父さん」と「若いお母さん」が、夜汽車の中で交わす会話によって物語が進められていく。彼らの持ち出す話題の大半は、「子供」(乳呑み児)に対するものであり、我が子を愛でるが故に出てくる言葉がそこにはある。そして、語りに目を移しても、その大半は「子供」に絡んだものであり、語り手の「子供」に対する視線はとても温かい。作品全体で「若いお父さん」家族を温かく包み込んでいるような印象さえ受ける。
 賢治作品中「氷と後光」ほど、親の愛情が分かりやすく明瞭に描かれた童話や散文作品はない。親の愛情というテーマを採用し、保護する側の視点から描いた作品としての再評価も可能ではなかろうか。本発表では、特にこの部分に迫ってみたい。
 ここで断っておくが、発表者は、晩年にかけて深まっていった作者の家族に対する意識の変化が、種々の作品に影響を及ぼしているのではないかと見ている。初期に描かれた家族と晩年に描かれた家族は、異なる表情を見せている面があるからである。それに伴い、賢治作品における家族像の変容を確認する必要がある、という大きな問題意識も持っている。 これらに関しては、一度に論じることは難しく、ここでも幾つかの作品を取り上げ、比較考察を行う予定だが、個々に対する詳しい考察は行わない。本発表では、まず「氷と後光」を<子供のいる>家族の視点から読み直し、賢治作品における家族の一側面を確認してみたい
 (実践女子大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程。会員)
 ※プロジェクターの使用有り。[/box]

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