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※ 午後時間の開催です。 [note color=”ffdead”]※旅中草稿 短歌番号801 「父とふたりいそぎて伊勢に詣るなり、雨とよばれしその前のよる。」からです。担当は小田部さんです。 [/note]
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※ 午後時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 岡村 民夫(おかむらたみお)氏
宮沢賢治と活動写真
宮沢賢治における映画の影響を考える場合、ともすれば忘れられがちなのは、彼の生前における映画(活動写真)の興行形態・受容形態が現在のそれらと非常に異なっていたという側面である。本発表では、花巻・盛岡の映画上映のあり方、幻燈・ジオラマ・演劇等の隣接メディア、弁士や学士の存在に注意を払いながら、「雪渡り」、「〔冬のスケッチ〕」、「セロ弾きのゴーシュ」、「双子の星」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」等を再検討したい。同世代の作家・稲垣足穂の映画経験との比較を通し、フランスの初期ファンタジー映画が賢治文学に大きな痕跡を残したとする仮説を提示することにもなる。また、ゴーシュのモデルをめぐる新説も呈示する。
(宮沢賢治学会イーハトーブセンター会員、表彰文化論学会会員、法政大学教授、会員)
(後半) 伊藤 卓美(いとうたくみ)氏
賢治の”光”の”色”を考える
―水彩画を再現してみて―
校本全集には、賢治の描いた水彩画が6点記録されている。
カラー写真で掲載されているが、その中野「月夜のでんしんばしら」(仮名)・「竜巻の絵」(仮名)・の2点が”戦災での焼失により現存せず。原画のモノクローム写真が残されていたものに、宮沢清六氏の監修によって彩色したもの”となっていた。
白黒の写真の上に色を付けたようなので、暗い絵で、他の水彩画と異質なものだった。注釈を読まなかった人には「賢治はこんな暗い絵を描く人だった」と云うイメージを与えるのではと、私は危惧していた。
賢治の童話には、透明感のある”色”の表現が多用されているので、実際の賢治の{色感」はどうだったのだろうかと、水彩画を顕彰、その再現を試みてみた。
(木版画家)
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※ お陰様で49名の参加申込みをいただきました。大変ありがとうございました。
追加申込みは締め切ります(9月29日)
[box title=”賢治の足跡 ―東京の今と昔―” color=”#a9a9a9″]
宮沢賢治研究会では例会回数が300回となったことから記念行事として イーハトーブ修学旅行バスハイク 賢治の足跡 ―東京の今と昔―(日帰りのバス旅行)を計画しました。研究会の旅行はどこへ行っても「イーハトーブ修学旅行」であり、行き先は岩手とは限りません。
日程は10月7日(日)一日です。既に当初設定した締め切り日を過ぎていますが、9月4日現在で定員50名(バス一台)に対して若干の空きがあります。
ご希望の方は、本ホームページのお問合せページからお申し込み下さい。ご照会でも結構です
詳細は添付の申込書pdfをご確認下さい。
宮沢賢治は、生涯で9回、東京を訪れており、東京での体験は、賢治の作品や人生に大きな影響を与えています。宮沢賢治研究会では、平成15年に大島、平成23年に上野・浅草の修学旅行を実施しましたが、それ以外の東京のゆかりの地を訪ねる旅行は、平成10年のバスハイク「賢治ゆかりの東京」以来で、20年ぶりとなります。
東京の賢治ゆかりの地は、賢治が訪れたころとは情景が大きく変わっており、20年前のバスハイクのときと比べても、ずいぶん、様変わりしています。当時の建物が残っていたり、碑が建てられているような場所は少なく、ただのビルで、言われなければ賢治との関係など分からないようなところも多くあります。しかし、そういう場所を訪れ、賢治が歩いた当時を偲びながら、賢治の足跡を確認し語り伝えていくことも、意義のあることだと思っています。
ぜひ、お誘い合わせの上ご参加下さい。