10月第259回例会のご案内

開催日 08.gif 平成23年10月1日(土)
会場 08.gif  千駄ヶ谷区民会館
開場 08.gif 13:00
開会 08.gif 13:30 終了予定16:30
会場整理費 08.gif 500円

※ 午後時間の開催です。

  ※ 会場案内図

     演題と発表者
 【前半】 小関 和弘 氏 「山火」から

 【後半】 島村 輝 氏 地震・津波・冷害――賢治は災害をどうとらえたか
   ※「発表概要」は、下の「続を読む:」を参照願います。

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(前半) 
小関 和弘氏  「山火」から

 『春と修羅 第二集』の作品「山火」二篇のうち「八六 山火 一九二四、五、四、」(定稿)をーー「下書稿(一) 郊外」をも押さえつつーー、話の糸口にして、賢治の機械文明への視線と山村文化への視線などについて考えてみたいと思っています(「四六 山火 一九二四、四、六、」の方へも若干触れることにはなると思いますが、、、)。そのあたりから展開して火の文化と賢治との関係についても考えられたならなどとも思っていますが、さてどうなりますやら。

(和光大学表現学部教授、専門は、日本近代文化・文学。)

(後半) 島村 輝 氏  地震・津波・冷害――賢治は災害をどうとらえたか

 宮沢賢治は明治三陸地震・大津波(1896年6月15日、死者・不明者約22000名)の直後に生まれ、昭和三陸地震・大津波(1933年3月3日、死者・不明者約3000名)の直後に亡くなった。その間、1902年、05年、13年、とりわけ深刻だった31年と度重なる東北地方の冷害を経験した。また1923年9月1日には関東大震災が発生したが、「銀河鉄道の夜」の原稿の裏には、この震災の見舞い書簡の下書きが書かれている。3・11東日本大震災発生後半年を経過した今日、「グスコーブドリの伝記」などを手掛かりに、賢治が災害をどのようにとらえ、どのように対処しようとしたかを考えてみたい。

(フェリス女学院大学文学部教授、専門は日本近代文学。著書に『臨界の近代日本文学』など。)

Posted by 外山正

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