開催日 平成28年6月4日(土) | 開場 17:30 |
会場 千駄ヶ谷区民会館 | 開会 18:00 終了予定21:00 |
会場整理費 500円 |
※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 本田 裕子(ほんだゆうこ)氏
『銀河鉄道の夜』における「天の川の水」
ジョバンニが「銀河鉄道」に乗って最初に見た「天の川の水」は、「ガラスよりも水素よりもすきとほって、(略)」と描写されている。また、作中では、「天の川の水」が何度も光っている描写がある。「天の川の水」は自ら発光しているようにも見えるのである。なぜ、「天の川の水」は自ら光ることが出来るのだろうか。
第一章の「午后の授業」では、「天の川の水」は、「真空」という「光をある速さで伝へるもの」と説明されている。「真空」であることと自ら発光することとは関係があるのだろうか。
「銀河鉄道」に乗車している間は、誰も「真空」という言葉は登場しない。果たして「銀河鉄道」に沿って流れる「天の川の水」も「午后の授業」の説明と同じく「真空」なのだろうか。
賢治が「天の川の水」を描くときは、「見えない」「音もなく、形もなく」「あやしい」という言葉を使っている。「天の川の水」には実際に「水」が流れているのだろうか。そして、「天の川の水」は「液体」なのだろうか。
「天の川の水」の描写を詳細に検証し、賢治の「天の川の水」に対する考えを明らかにしたい。
(鶴見大学文学部研究生。会員)
(後半) 栗原 文子(くりはらあやこ)氏
大正6年・浄土ヶ浜の賢治 ―短歌、岡田家宿泊、遠野まで100キロ―
大正6≪1917≫年7月26日、宮古(岩手県)にやって来た賢治は、盛岡中学の1年後輩で、4年時には寄宿舎で同室だった岡田与志松の実家「岡田家」に泊まり、翌朝、ピッケルを携え、途中まで与志松に案内されて、名勝・浄土ヶ浜へと向かっている。この時、浜辺で詠んだと考えられる短歌のなかから、563a564『基督のさましてひとり岩礁に赤きひとでを見つめゐるひる』、564『展べられし昆布の中に大なる釜らしきもの月にひかれり。』について、解釈を試みる。さらに、宮古から遠野へと吟行しながら帰途を歩み行く賢治の足跡、宮古→蟇目→腹帯→陸中川井→小国→小峠(この辺に早池峰山を望める地点有り)→立丸峠→遠野を辿り短歌に詠みこまれた場所や風景の推定を試み、最後に、現在の遠野ハリストス(キリスト)正教会に架かるイコン『主の復活』(制作:山下りん)と賢治との不思議な縁と接点について、客観的事実をもとに検証する。
(駒沢大学、臨床心理士。会員)
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