開催日 平成28年2月6日(土) | 開場 13:00 |
会場 千駄ヶ谷区民会館 | 開会 13:30 終了予定16:30 |
会場整理費 500円 |
※ 午後時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 坪谷 卓浩(つぼやたかひろ)氏
宮沢賢治と「青い鳥」
モーリス・メーテルリンク(1862-1949)の「青い鳥」は、日本で数多く出版され、物語や絵本としても広く親しまれている。メーテルリンクと言えば「青い鳥」というように、彼を児童文学者だと思っている人々も少なくないだろう。しかし、明治末から大正期に目を転じてみれば、その様相は大きく違っていることがわかる。当時、メーテルリンクはトルストイやイプセンのように日本の文壇、劇壇にて大変人気のあった劇作家、思想家であり、その作品は文学者、知識人に大きな影響力を与えたのである。こうした大正期におけるメーテルリンク受容の文脈を通して、宮沢賢治について考えてみたいというのが今回の発表の趣旨である。大正6年4月の「雲とざす/きりやまだけの柏ばら/チルチルの声かすかにきたり。」という短歌に表れているように賢治が「青い鳥」を読んでいたことは確かだと思われる。当時の「青い鳥」の出版状況を確認しながら、賢治が目を通したと思われる図書、雑誌について想像を巡らせてみることにしたい。なお、作品としては「かしはばやしの夜」を取り上げて、「青い鳥」が賢治に与えた影響についても考えてみる予定である。
(日本体育大学図書館。会員)
(後半) 田嶋 彩香(たじまあやか)氏
宮沢賢治作品における家族―子供のいる「氷と後光」の場合―
「氷と後光」は、「若いお父さん」と「若いお母さん」が、夜汽車の中で交わす会話によって物語が進められていく。彼らの持ち出す話題の大半は、「子供」(乳呑み児)に対するものであり、我が子を愛でるが故に出てくる言葉がそこにはある。そして、語りに目を移しても、その大半は「子供」に絡んだものであり、語り手の「子供」に対する視線はとても温かい。作品全体で「若いお父さん」家族を温かく包み込んでいるような印象さえ受ける。
賢治作品中「氷と後光」ほど、親の愛情が分かりやすく明瞭に描かれた童話や散文作品はない。親の愛情というテーマを採用し、保護する側の視点から描いた作品としての再評価も可能ではなかろうか。本発表では、特にこの部分に迫ってみたい。
ここで断っておくが、発表者は、晩年にかけて深まっていった作者の家族に対する意識の変化が、種々の作品に影響を及ぼしているのではないかと見ている。初期に描かれた家族と晩年に描かれた家族は、異なる表情を見せている面があるからである。それに伴い、賢治作品における家族像の変容を確認する必要がある、という大きな問題意識も持っている。 これらに関しては、一度に論じることは難しく、ここでも幾つかの作品を取り上げ、比較考察を行う予定だが、個々に対する詳しい考察は行わない。本発表では、まず「氷と後光」を<子供のいる>家族の視点から読み直し、賢治作品における家族の一側面を確認してみたい。
(実践女子大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程。会員)
※プロジェクターの使用有り。[/box]