開催日 平成27年12月5日(土) | 開場 13:00 |
会場 氷川区民会館 ※JR渋谷駅と恵比寿駅の間にあるため、バス利用が便利です。バス情報は案内図のページに掲載しました。 | 開会 13:30 終了予定16:30 |
会場整理費 500円 |
※ 午後時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 椚山 義次(くぬぎやまよしつぐ)氏
『春と修羅』から『銀河鉄道の夜』へ ―「十字架」「さいわい」「さそりの火」をめぐって―
心象スケッチ『春と修羅』(第一集)については、その初期編集プロセスについて私感を述べて見たいと思います。佐藤隆房著『宮沢賢治』(昭和17年冨山房刊)の年譜(宮沢清六作制)には、「大正十一年、一月より十一月までに「詩」(心象スケッチ)「春と修羅」第壱集五十三篇を作る。(十一月廿七日妹トシ死亡) 大正十二年、六月より十二月までに「詩」(春と修羅第一集)二十四篇を作る。八月上旬青森、北海道、樺太を旅行し、「青森挽歌」「津軽挽歌」「オホーツク挽歌」を創作。 大正十三年、一月心象スケッチ『春と修羅』第一集自費出版。」とある。些細なことかも知れませんが私が特にこだわりたいのは、『春と修羅』第壱集五十三篇を作る。の傍線の漢字の「壱」と「五十三」の部分、この数字は聖書を示す暗号のように思えるのです。その他の箇所にも不思議な数字の配列があり、その辺のことが解明できればと思います。
『銀河鉄道の夜』では、十字架、さいわい、さそりの火、について、その「十字架」や「さいわい」という言葉に象徴されるように、新約聖書との関わりを述べて見たいと思います。「さそりの火」については『新校本宮沢賢治全集』年譜をその手懸りに披瀝できればさいわいです。
(日本ヘブライ文学研究所代表、宮沢賢治三春の会主宰、日本比較文学会東北支部会員)
(後半) 富山 英俊(とみやまひでとし)氏
「青森挽歌」再考――ヘッケルと倶舎をめぐって
「青森挽歌」中の「((ヘッケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます))」や、「むかしからの多数の実験から/倶舎がさつきのやうに云ふのだ」は、多くの解釈や研究を誘ってきた。だが、妹の死後の世界が鳥への転生・天上への変容・地獄への急転と自ずからのように展開するこの長篇詩では、挽歌群中でも多声性と対話性が際立つから、ヘッケルで倶舎でも前後の文脈を忘れて(前者では不連続な声の交錯、後者では放心した思いの漂流)、その思想内容のみを検討することは、詩の読み方として問題含みであろう。
だが、それらの思想内容はそれ自体でも、賢治との関わりでもやはり興味深い。今発表では、ヘッケルは、科学者を逸脱し思弁的になったとも評されるが、その根本の発想は、心・身を自然という唯一の実体の二つの様相と捉えるスピノザ的な一元論であったことを指摘したい。倶舎論については、それは「小乗」の世界観によるから当然だが、作品での転生の現われ方とは一致しないことを確認したい。その描かれ方は賢治に独自であろうが(既成の「がいねん化」に拘束されない「心象スケッチ」の所以である)、他方で、六道等の諸世界が互いを含みあう「十界互具」の天台思想や、それを「仏の国」の出現の原理とした日蓮思想に由来するのでは、という繋がりを示唆したい。 。
(明治学院大学教授)[/box]