開催日 平成31年6月1日(土) | 開場 17:30 |
会場 渋谷区氷川区民会館 | 開会 18:00 終了予定20:45 |
会場整理費 500円 |
※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半) 外山 正(とやまただし)氏
我が記憶のイーハトーブ
私事であるが、賢治に関わって半世紀が過ぎた。賢治に惹かれる理由を、折々に矯めつ眇めつ考えて来て、自分の指向がどっちへ向いているかの意識はある。ただ、「これが結論です。」と人に説明出来る様な解決にまでは至っていない。しかし、歳を重ね残り時間が減少することは、心境を変化させる理由となる。既に新たな展開は望めず、目の前の材料で判断するしかないと考えるに至った。ここらが発表の動機である。どの様な手法で行うべきかを考えると、出てくるのは「記憶」の「精査」である。通常の記憶は、昔を振り返る「観察」なのだが、古い記憶は再生産のため誤差が多い。
この種の記憶とは別に、「想起」がある。六十年を超えてリバイバルを繰り返すしぶとい「想起」や「経験」があり、現在まで残り続けたものでもある。これらの世界に遊んでみたい。その中には勿論「イーハトーブ体験」も含まれる。どの様な解釈が加えられるかを考えたい。
(本会参与、宮沢賢治学会イーハトーブセンター副代表理事)
(中間) 総 会
(後半) 富山 英俊(とみやまひでとし)氏
賢治詩の音数律再説/文語詩「不軽菩薩」と「御義口伝」
今回の発表の前半では、近刊の拙著『挽歌と反語――宮沢賢治の詩と宗教』でも中心的主題のひとつとした賢治詩の音数律について、口頭での説明と補足を行いたい。拙著では、伝統的韻律の七音や五音を「二音の単位が四つ集まる八音分の持続のなかに無音の拍が置かれるもの」と見る音数律論の観点から、賢治詩に特徴的な「八・七」音律などを検討した。
後半では、同じく拙著の第七章の注7で簡単に素描した、文語詩「不軽菩薩」と伝日蓮の口伝「御義口伝」の「本覚」思想的傾向との関係について、補足的な報告を行いたい。それはたとえば、「われは不軽ぞかれは慢/こは無明なりしかもあれ」の意味解釈に関わる。
(明治学院大学文学部教授)