8月第288回例会のご案内

開催日 08.gif 平成28年8月6日(土) 開場 08.gif 17:30
会場 08.gif千駄ヶ谷区民会館 開会 08.gif 18:00 終了予定21:00
会場整理費 08.gif 500円

※ 夜時間の開催です。
[box title=”発表者と演題” color=”#a9a9a9″](前半)08.gif  牧野  静(まきのしずか)氏
 賢治童話における殺生の問題

 賢治はその創作において繰り返し殺生を行う主体を登場させ、その苦悩を描いている。また賢治自身一時期には菜食を行ったことが広く知られている。このような賢治の価値観のおおもとに大乗仏教的な発想があることは既に諸家に指摘されている。
 しかし賢治の殺生へのこだわりは仏教的発想だけでは説明がつかない部分がある。宮沢家は浄土真宗の篤信であり、賢治の仏教的素地はこの環境で育まれている。しかし真宗の祖親鸞は殺生を生業とする者も阿弥陀仏の本願によって往生を遂げるという立場を取る。またのちに法華経への感動から国柱会入会へと至る賢治であるが、法華経の安楽行品に狩猟者等との交流を戒める箇所もあるものの、日蓮は殺生を行うことを往生の妨げとならないとしている。賢治の殺生への問題意識は仏教的発想以外にもなんらかの端緒があると解するべきであろう。
 本発表ではまず賢治が触れた可能性のある経典等と賢治のテキストとの比較を行うことで、賢治が殺生にまつわる創作を行う際の着想のもとを探る。次に賢治のテキスト内で動物がどのように位置づけられているかを分析した上で、現代の応用倫理学のなかで一分野をなす動物倫理の議論との比較を行い、賢治の殺生にまつわる価値観、倫理観を探る。
 (筑波大学大学院人文社会科学研究科 一貫制博士課程。会員)

(後半)08.gif  外山  正(とやまただし)氏
 宮沢賢治と方言の現在(続)

 筆者は以前、例会で賢治の方言について発表したことがある(平成19年6月第234回例会「劇『種山ヶ原の夜』と花巻方言の現在」)。九年前のことであるからもうひと昔前だ。これだけの時間の経過は、社会や身辺の様相を一変させるに十分な時間である。物事へのまなざしや理解も十年を経ればかなりの違いを生じさせる。十年かかる学習もずいぶん気の長い話であるが、新しい考えや知識に至ることはある。
 社会でもっとも変化したのは情報化であり、その情報化を根拠にあらゆる事件が起こる。方言の問題を情報化でくくってもどこの違いを指摘出来るかは案外難しい作業だ。実は、今回の演題を考えた後に、以前の発表を確認したら、同じ様な演題だったので少々思案したが。あえてそのままにしておく。約十年後の定点観測である。
 今回は「なめとこ山の熊」の荒物屋の場面「旦那さん、先ころはどうもありがたうごあんした。」で始まる部分にスポットを当てて考えをめぐらせ、そこからさらに展開することをしたい。
(会員。例会担当役員)
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Posted by 外山正

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