―宮沢賢治研究会のあゆみ―
和暦 | 西暦 | 月日 | 研究会関係 | 四次元 賢治研究 |
例会 | その他 | |
昭和24年 | 1949年 | 6月 | 佐藤寛により「宮沢賢治友の会」発足 | 創刊~3号 | |||
9月23日 | 「宮澤賢治友の会結成記念講演会」(草野心平・中島健蔵・谷川徹三)を東京大学で開催 | ||||||
10月1日 | 「四次元」創刊号発行 編集者/佐藤寛 発行所/宮澤賢治友の会、発売所/十字屋書店 定価30円(3,000部印刷) | ||||||
昭和25年 | 1950年 | 3月19日 | 第一回研究会を佐藤寛宅で開く(この後、月例会となり、童話一篇をとりあげて話合う形式となる)。 | 4~14号 | |||
6月 | 「四次元」8号を発行し、十字屋書店が刊行から手をひく。 | ||||||
7月 | 9号から(編集兼発行人/佐藤寛・発行所/宮澤賢治友の会)となる。 | ||||||
10月 | 「一周年記念特輯号」(12号)を刊行 | ||||||
10月8日 | 「一周年記念講演会」を東京大学で開催 | ||||||
11月 | 研究会会場が日本橋槇町・永森組に移る。 | ||||||
昭和26年 | 1951年 | 1月13日 | 佐藤寛が理事長に就任 | 15~24号 | |||
3月 | 17号より定価を40円に改定。17号より19号に会員名簿を掲載(152名) | ||||||
9月 | 21号をもって書店扱いを見合わせる。 | ||||||
10月6日 | 「二周年記念講演会」を東京大学で開催 | ||||||
昭和27年 | 1952年 | 9月 | 「三周年記念特輯号」(32号)を刊行 | 25~34号 | |||
9月20日 | 「三周年記念講演会」を東京大学で開催 | ||||||
12月 | 18回研究会より会場が立正大学に移る。 | ||||||
昭和28年 | 1953年 | 9月20日 | 「四周年記念講演会」を東京大学で開催 | 35~45号 | |||
10月 | 「四周年記念特輯号」(44号)を刊行 | ||||||
昭和29年 | 1954年 | 5月 | 「創刊五十号記念特輯」を刊行 | 46~56号 | |||
9月18日 | 「第五回記念講演会」を東京大学で開催 | ||||||
昭和30年 | 1955年 | 4月 | 「春と修羅研究特輯号」(60号)を刊行。定価を50円に改定 | 57~67号 | |||
8月 | 第一回イーハトーブ旅行(参加会員13名) | ||||||
9月18日 | 「六周年記念講演会」を立正大学で開催 | ||||||
10月 | 「二三回忌記念号」(66号)を刊行 | ||||||
昭和31年 | 1956年 | 4月 | 「賢治の女性特輯」(70号)を刊行 | 68~77号 | |||
9月16日 | 「第七回記念講演会」を立正大学で開催 | ||||||
昭和32年 | 1957年 | 1月 | 78号より発行所が「宮沢賢治友の会内 宮沢賢治研究会」となる。 | 78~88号 | |||
3月 | 「春と修羅研究特集(二)」(80号)を刊行 | ||||||
6月20日 | 「賢治を讃える夕」を日本青年館で開催 | ||||||
7月 | 「号外 四次元特集」を刊行(表紙の表記は1957・9となっていて定価の表示はない。) | ||||||
10月11・12日 | 「二五年記念祭」を日本青年館で開催 | ||||||
昭和33年 | 1958年 | 2月 | 「放送劇脚本特集」(90号)を刊行 | 89~99号 | |||
11月 | 立正大学での研究会が70回をかぞえる(99号による)。 | ||||||
11月15日 | 「百号刊行祝賀会」を九段会館で開催 | ||||||
11月22日 | 「百号記念講演と音楽会」を下谷公会堂で開催 | ||||||
昭和34年 | 1959年 | 1月 | 「百号記念特集」刊行(181ページ・頒価200円) | 100~110号 | |||
3月17日 | 「宮沢賢治友の会」を「宮沢賢治研究会」と改称 | ||||||
5月 | 104号から発行所が「宮沢賢治研究会」となる。 | ||||||
6月18日 | 「宮沢賢治研究会十周年記念の夕」(鶴見俊輔)を銀座ガスホールで開催 | ||||||
9月 | 創立十周年記念事業として、身延山久遠寺境内に詩碑建立のための発起人会を結成 | ||||||
10月 | 「創刊十周年記念号」(109号)を刊行 | ||||||
昭和35年 | 1960年 | 1月 | 十周年記念事業として、身延山久遠寺境内に詩碑の建立計画を発表(111号) | 111~121号 | |||
昭和36年 | 1961年 | 6月18日 | 浅草日蓮宗宗務院で講演会(日蓮宗新聞と共催)を開催 | 122~132号 | |||
10月23日 | 宮沢賢治研究会の名で、身延山久遠寺慈済橋畔に「塵点劫」歌碑を建立。協力者437名(ほかに無名氏百数十名)。除幕式後、講演会を身延山短期大学で開催 | ||||||
昭和37年 | 1962年 | 1月 | 「歌碑建立記念号」(133号)を刊行 | 133~143号 | |||
7月9日 | 「宮沢賢治三十周年追善供養ならびに講演会」を釈尊教会で開催 | ||||||
昭和38年 | 1963年 | 7月 | 「一五〇号記念特集」刊行(216ページ・頒価250円) | 144~154号 | |||
8月 | 151号から頒価100円となる。 | ||||||
10月6日 | 「宮沢賢治忌並びに母堂百ヶ日忌追善法要と記念講演会」を釈尊教会で行う。 | ||||||
昭和39年 | 1964年 | 9月27日 | 「宮沢賢治祥当三十三回忌並びに御母堂一周忌法要」を日暮里本行寺で行う。 | 155~165号 | |||
昭和40年度 | 1965年 | 6月 | 「三十三回忌記念特集」(171号)を刊行 | 166~177号 | 1~2回 | ||
10月2日 | 「三十三回忌記念講演会」(谷川徹三・串田孫一・渡辺はま子)を新宿安田生命ホールで開催 | ||||||
12月18日 | 久しく途絶えていた研究会を日暮里本行寺で再開する(参加者21名)。(注)この会を第一回として、偶数月第一土曜日に、上野東京電力サービスステーション、東京文化会館、市ヶ谷私学会館と会場を移し、現在は渋谷区千駄ヶ谷区民会館等で継続開催中 | ||||||
昭和41年度 | 1966年 | 4月 | 事務局(土佐啓一宅)を設置する(181号「葛飾たより」) | 178~189号 | 3~8回 | ||
昭和42年度 | 1967年 | 190~199号 | 9~13回 | ||||
昭和43年度 | 1968年 | 1月 | 「二百号記念特集」刊行(212ページ・頒価500円・会員300円) | 200~202号 | 14~19回 | ||
2月10日 | 「二百号記念講演会」(小菅健吉・小原忠・小沢俊郎・恩田逸夫)を新宿紀伊国屋ホールで開催 | ||||||
同日 | 201号刊行(佐藤寛編集の最終号) | ||||||
11月 | 「四次元」202号(「終刊号」として会員の手により編集)にて終刊となる。 | ||||||
昭和44年度 | 1969年 | 4月 | 「賢治研究」1号刊行。編集/小沢俊郎・土佐啓一。発行人山崎善次郎 | 創刊~3号 | 20~25回 | ||
4月5日 | 購読希望者を会員とする研究会総会を開き、会規約を定める。細則により(1)会費は年額1,200円(2)会誌は年三冊発行とする。 | ||||||
昭和45年度 | 1970年 | 3月23日 | 本会創立者佐藤寛永眠(78歳) | 4~6号 | 26~30回 | ||
7月23日~26日 | 第1回イーハトーブ修学旅行(43名) | ||||||
11月7日 | 「宮沢賢治生誕75周年記念講演会」(中島健蔵・草野心平・谷川徹三・久保田正文)をお茶の水日仏会館で開催 | ||||||
※ | 「宮沢賢治研究会ニュース」を4回発行(発行人/須田浅一郎・土佐啓一) | ||||||
昭和46年度 | 1971年 | 4月3日 | 理事長に山崎善次郎が就任。年会費1,500円となる。 | 7~9号 | 31~36回 | ||
11月13・14日 | 身延山で碑前祭と移動研究会を開催 | ||||||
昭和47年度 | 1972年 | 1月15日 | 「宮沢賢治研究会関西支部結成記念講演会」を大阪婦人会館で開催 | 10~12号 | 37~42回 | ||
3月 | 「四次元」号外(佐藤寛追悼)を刊行。頒価500円。 | ||||||
8月 | 「賢治研究」11号から須田浅一郎の編集となる。 | ||||||
昭和48年度 | 1973年 | 9月29日 | 「宮沢賢治没後四〇周年記念講演と映画の会」(天沢退二郎・中村稔・長岡輝子)をお茶の水日仏会館で開催(定員400名の会場に800余の入場希望者があり、大混乱となる。) | 13~15号 | 43~47回 | ||
11月10日 | 「宮沢賢治没後四〇年記念講演と映画の夕」を大阪中之島中央公民館で開催 | ||||||
昭和49年度 | 1974年 | 8月19~23日 | 第3回イーハトーブ修学旅行。東北採石工場、種山、遠野、花巻、松倉温泉(泊)。身照寺、イギリス海岸、盛岡、浪板(泊)。気仙沼。二泊(車中二泊)。40名。 | 16号 | 48~52回 | ||
昭和50年度 | 1975年 | 7月24~28日 | 第4回イーハトーブ修学旅行。東北採石工場、種山、少年自然の家(泊)。花巻市内、鉛温泉(泊)。早池峰山神社、農学校。二泊(車中二泊)。38名。 | 17~18号 | 53~56回 | ||
10月5日 | 「宮沢賢治生誕八〇周年記念講演会」(入沢康夫・斎藤文一・小倉豊文・恩田逸夫)を新宿紀伊国屋ホールで開催 | ||||||
昭和51年度 | 1976年 | この年「賢治研究」の発行なし | 57~61回 | ||||
8月19~24日 | 第5回イーハトーブ修学旅行。岩手大学、小岩井農場、網張温泉(泊)。岩手山周遊、花巻温泉(泊)。花巻市内、原体、少年自然の家(泊)。種山、東北採石工場。三泊(車中二泊)。38名。 | ||||||
昭和52年度 | 1977年 | 12月 | 「賢治研究」19号を2年振りに刊行(須田浅一郎・土佐啓一・杉田英生の共同編集) | 19号 | 62~65回 | ||
昭和53年度 | 1978年 | 5月 | 「賢治研究」20号刊行(伊藤卓美・土佐啓一・杉田英生の共同編集)。表紙の題字が草野心平の揮毫となる。10月14日臨時総会で会長に山崎善次郎が就任。年会費を2,000円とし、賛助会員制度を設ける。 | 20号 | 66~70回 | ||
8月18~22日 | 第6回イーハトーブ修学旅行。五葉山、吉浜(泊)。遠野、種山、花巻温泉(泊)。詩碑、大沢温泉。二泊(車中二泊)。 | ||||||
昭和54年度 | 1979年 | 2月 | 「賢治研究」21号から伊藤卓美・杉田英生の共同編集となる。 | 21~23号 | 71~75回 | ||
7月 | 会員有志による「校異を読む会」発足(注)奇数月第一土曜日に開催され、現在は読書会として継続中 | ||||||
8月17~21日 | 第7回イーハトーブ修学旅行。盛岡、田沢湖、小岩井農場(泊)。花巻市内、花巻温泉(泊)。種山。二泊(車中二泊)。28名。 | ||||||
12月 | 会員名簿を作成して配布する。 | ||||||
昭和55年度 | 1980年 | 4月 | 「宮沢賢治生誕八五年・宮沢賢治研究会三〇周年記念講演会」(永瀬清子・板谷英紀・原子朗・松本零士)を新宿安田生命ホールで開催 | 24~25号 | 76~80回 | ||
昭和56年度 | 1981年 | 26~28号 | 81~85回 | ||||
昭和57年度 | 1982年 | 9月 | 「四次元」全巻を復刻する。(出版/国書刊行会) | 29~30号 | 86~90回 | ||
昭和58年度 | 1983年 | 4月 | 「賢治研究」32号から伊藤卓美の編集となる。会長が山崎善次郎より佐藤栄二に代わる。(「賢治研究」の発行人が佐藤栄二となり、発行所が杉田英生方となる。)年会費3,000円となる。ミニコミ誌「山猫通信」創刊準備号発行 | 32~34号 | 91~95回 | ||
6月 | 「山猫通信」創刊号発行(隔月刊行/外山正編集/現在刊行中) | ||||||
昭和59年度 | 1984年 | 2月 | 「賢治へのいざない・没後50年のつどい(堀尾青史・松村彦次郎・柳原昌悦・佐藤泰平・田谷力三・小原忠)を新橋ヤクルトホールで開催 | 35~36号 | 96~101回 | ||
8月18・19日 | 秩父修学旅行。三峯山(三峯神社)、寄居、長瀞方面。参加22名。 | ||||||
昭和60年度 | 1985年 | 5月 | 「賢治研究」38号から山崎善男の編集となる。 | 37~38号 | 102~107回 | ||
11月10日 | 「日曜講座―賢治へのいざない〈宮沢賢治とわたし〉」を日暮里本行寺で開催(昭和61年3月まで5回開催) | ||||||
昭和61年度 | 1986年 | 40~41号 | 108~113回 | ||||
昭和62年度 | 1987年 | 2月1日 | 「賢治研究」に国際標準逐次刊行物番号(ISSN0913-5197)の割当があり、43号より表示する。 | 42~45号 | 114~119回 | ||
8月 | 「賢治研究」44号から土佐啓一の編集となる。 | ||||||
昭和63年度 | 1988年 | 11月 | シンポジウム「宮沢賢治の世界」(見田宗介・入沢康夫)を青山学院大 学で開催 |
46~48号 | 120~125回 | ||
和 暦 | 西 暦 | 月 日 | 研究会関係 | 四次元 賢治研究 |
例 会 | その他 |
※(詳細版・「賢治研究」創立50周年記念特別号より)2014.02修正